ただの文章

何の計算もなく、ただ文章を書いてみたいと思います。

僕は文章を書くことがとても好きです。
文章を書くことで自分の心が整理され、自分でも気付かなかった深い部分にいる自分に気付けたり、何とも言えない感情を文字や単語で表現できたり、何よりも何かを自分の中で吐き出すことができた満足感を得ることができるからです。
そしてその文章を見た知り合いや何かしらのキッカケでその文章に辿り着いてくれた人が何らかのリアクションをくれます。
面白いと言ってくれる人、何を書きたいんだかわからないと言う人、リアクションは様々です。
でも僕にとってはそのリアクションがたまらなくうれしいのです。
誰かの目に触れ、何らかの感情を動かすことが出来たことがうれしいのです。
この人はこんな文章が好きなんだなとか、この人はこんな文章が読みにくいんだなとか、自分の文章を通じてその人を見て、知ることができると思うと改めて素晴らしいものだなと感じます。

僕はしばらくの間、文章を書くことがあまり楽しくないと感じるようになっていました。
僕は文章を書くことを一部仕事にしており、Webライティングやセールスライティングにも手をつけています。
これらは人に何かを説明したり、商品やサービスを買ってもらうことを目的とした文章の書き方が必要になるので、こうして何の脈絡もなく文章を書いていく作業とは違います。
文章を論理的にまとめたり、見やすく装飾したりとお金を生み出すための工夫があちらこちらにされているわけです。
これはこれでやりがいがあり、楽しいと思える作業なのですが、自分で作業しているうちにふと「こんな文章は世の中にありふれているよな」と激しい虚無感に襲われました。

せっかく生まれてきたなら自分にしかできないことがやりたいのです。
自分がやっていて楽しいと思えることが、誰かにとって楽しいと思えることであって欲しいと願っています。
誰かの役に立ったなら尚のことうれしいです。
文章を書くということで言えば、「より多くの人に読ませる文章」を書くことよりも「自分が書いた他愛もない文章」の方が好きなのです。
それが人様にとってどんなに無価値だとしても自分の心の内をそのまま表現できた満足感には勝てないなと感じます。
今こうして書いている文章もまさにそうです。
なんてことはない、人の役にもちっとも立たないような文章です。
「結局何が言いたいの?」とヤジすら飛んできそうです。

つまり表現は自由ってことなんです。
書きたくなければ書かなければいいし、何か書きたいならなんでもいいから書けばいいんです。
誰かの目を気にすることなんてないんです。
評価や価値なんて気にすることはないです。
自分で書いてみて自分の心が満たされたらそれでいいんです。
僕はこの取り留めのない文章にとても満たされています。
何度見返しても何を伝えたいのかわからないこの文章に。
これが何かしらのスタートラインであり、何かしらのヒントになるはずです。
色々なことを少しずつはじめます。

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