必死に生きない

僕は必死に生きないことにしている。
正確には必死に生きないことにした。
他人と比べてどれだけ必死だったのか比較する術もないが、過去に必死で働いて生きていたことがある。
そこからの教訓で今は必死で生きないことにしている。
もしかしたらこの先また新たな気付きがあり、必死で生きることがあるかもしれない。
もし仮に必死を使わなくてはいけない時がきたら、その時はウルトラマンばりに3分間の短期集中のようなイメージで使いたい。
必死はすさまじい力を発揮する反面、激しく自分が消耗する。
例えが二転三転してしまうのだが、スーパーサイヤ人の状態に近いと思う。
スーパーサイヤ人は純粋な激しい怒りと引き換えに、すさまじいパワーを手に入れることができる。
その代償として激しく体力を消耗する。
それと同じイメージだと思う。

僕の周りにはビジネス大好き人間が何人もいる。
皆必死で働いているし、必死でビジネスを描いて、必死で成功したがっているし、必死で金や名誉を得たいと頑張っている。
ポーカーフェイスを装って必死さを隠す人もいれば、鬼気迫る勢いで必死さをむき出しにしている人もいる。

僕は先に書いた通り、今は必死で生きないことにしている。
そのようなスタンスでいるので、彼らとは波長が合わない。
だからと言って彼らを否定したり、斜に構えたりする気はない。
彼らを心から応援しているし、何か自分に手伝えることがあればその時は力になりたいと思っている。
ただし、僕が知る限りの必死な人たちは、必死すぎてすでに周りが見えていない。
僕が過去にそうであったように、必死はすさまじいパワーを与える代わりに、視野を狭くさせる。
特に周りの声や意見は聞こえない。
彼らにとって良かれと思って何かを伝えたとしても、彼らにとってはよくない。
彼らにとってみれば、ただのブレーキでしかないのだ。
仮に彼らが必死な時に何かを相談してきたとしても、それは背中を押してくれることを望んでいることが多い。
その時、彼らに正論はいらない。
もしどうしても必死な彼らの話を聞かなければならなくなった時は、彼らの背中を全力で押して、さらに必死の向こう側に解き放つしかない。
それでもし彼らがうまくいかなくて必死の先に燃え尽きてしまったら、心から健闘を讃えよう。
もしうまくいったら全力で喜びを分かち合うのみだ。

今日も一人、必死な友人が僕に相談を持ちかけてきた。
「新しいビジネスを構想してるんだけどどう思うか?」と資料を送り付けてきた。
僕は覚えたてのPhotoshopでの作業に集中したかったし、自分のブログやnoteの更新内容で頭がいっぱいだったし、そこにたっぷり時間を使いたかった。
僕は「今は急ぎの作業があるからあとで目を通しておく」とそれをなんとかやり過ごした。

繰り返しになるが、必死な人は必死すぎて周りが見えなくなりやすい。
周りが見えないので、他人を巻き込みやすく、他人の時間を奪いやすい。
その人のために使う時間と覚悟があり、もしくは自分にとって何か得るものがあるなら良い。
ただし、もし断れずに時間をなんとなく浪費してしまうようであれば、その人にとって『いい人』『都合のいい人』にならないよう気をつけなくてはいけない。

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